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アイデアの方程式「麻婆春雨の方程式」
2019年5月16日(木) テレビ東京 21時54分~
で、「麻婆春雨の方程式」として、開発秘話が放送されます。
麻婆春雨の生みの親ともいうべき、永谷園と開発担当した能登原隆史さんの
エピソードをいつものように、さらっと紹介します!
麻婆春雨は日本生まれ!?
なんと、麻婆春雨は日本で産まれた食べ物で、中華料理としてはないものだとか。
「麻婆」の言葉で完全に中華料理であると思い込み、ノーマークでした。
ほかの「麻婆」はどうだろうか?
どうやら、「麻婆豆腐」「麻婆茄子」は中華料理としてあるようですね。
麻婆春雨といえば、あのCMが有名ですよね。
子供時代によく食卓に出てましたね~という世代。
さて、いろいろ調べてみたら、ちょっとおもしろい開発エピソードが
あるようですので、紹介しますね!
永谷園の「ぶらぶら社員制度」とは!?
1979年、大手食品メーカーの永谷園が行った社内制度のことで、
「2年間で結果(新商品)を出すこと」のみを条件に、
出社せずに時間を自由に使い、
経費も制限無しで自由にやれ
というもの。
永谷嘉男社長(当時)が企画部の社員である能登原隆史さんに特命として
正式に辞令を出したそうです。
能登原隆史さんは、同社の「あさげ」開発プロジェクトリーダーを
担当するなど、社長も一目置く人材だったようです。
開発に入って当初は、スケジュール表などを作って社長に提出などしていたが、
それではいいものは作れない、と却下。
本当に自由に世界各国を食べ歩く状態に。
この、何でも自由にやれ!という指示は、好き勝手出来るのでいいかな
などと思うのは、ちょっとちがうかな~
「2年で結果を出す」という制限が高いハードルとして、凄まじいプレッシャー
だったのではないかと想像します、、、
そして、どうやら期限ぎりぎりまでアイデアが決まらなかったようです。
誕生、麻婆春雨!
そんなさなか、ふと立ち寄って食べていた食事から、
中華スープ、春雨が合うのでは!?
とのひらめきから、一気に開発が加速!
色々な具材を検討したのち、現在の「永谷園の麻婆春雨」が完成します。
そして、1981年(昭和56年)11月から九州地方で先行発売、月商1億円の売上を達成!
以降、西日本、信越まで販売地域を拡大し、1983年(昭和58年)には和田アキ子さん
のCM「永谷園の麻婆春雨♪」で爆発的ヒットし年売上7億へ!
1997年(平成9年)には年30億円の売り上げを達成するなど、ゆるぎない地位を得る
までに至ります。
この時のノウハウが、後の『チャーハンの素』や『すし太郎』の開発にも用いられて
いるそうです!
なお、麻婆春雨の大ヒットを受け、「ぶらぶら社員制度」に似た制度をいくつかの企業
が導入しています。
(永谷園自身は一旦中止した後、2001年に本制度を復活させたが、半年で取りやめた
ようです)
これは、なかなか人を選ぶ制度だったのかな、と思いますね。
永谷園の公式サイトにも、漫画形式でエピソードがありますので、
ぜひそちらもご覧ください!
お読みいただきありがとうございました!